幸せになる勇気を読んでから改めて嫌われる勇気を読んだ。というか読み返している最中。幸せになる勇気で初めて見たと思ったことも、実は嫌われる勇気でかなり取り扱われていた。単に忘れていただけだった。

本の中で「過去など存在しない」という話が出てくる。なんだと、じゃあ昨日焼肉食べたという事実も存在しないのかなんて反発を覚えるかもしれない。

過去が存在しないというのは、「今私が不幸なのは過去にいじめを受けたせいだ」という文脈で使われる場合の「過去」というのは存在しないという意味だと思う。いじめられた事実が存在しないという意味ではなくて、過去に立脚して現在があるわけではないという意味で、過去が存在しないのだ。

アドラーの心理学ではトラウマが否定される。過去のひどい出来事で傷ついたから、今の自分が不幸なのだという考え方は否定される。過去の出来事が原因で今があるのではなく、今の目的にあわせて過去の出来事に意味をつけていると考えるのがアドラー心理学。

いじめを受けたから不幸になるというのであれば、過去にいじめを受けた人は例外なく不幸になっていなければおかしいことになる。それは単に自分が不幸になることを選択しているだけであって、その原因として過去にいじめを受けた事実に意味を与えているという考えるらしい。

同じいじめを受けた経験を持つ人でも、「あのときいじめを受けた経験から反骨精神を学び、今の自分があるんです」みたいなことを言う人だっているだろう。つまり今の目的にあわせて過去を解釈する。過去の出来事が原因で今があるとは考えないという意味で、過去が存在しないということなんだと思う。

この考え方は結構エグい。「過去に○○あがったから今の自分はひねくれてるんだ」と考えた時に、それは自分が「ひねくれた人間になる」という選択をしていることになるからだ。

なんでそんな選択をするのかというと、そうすることで、例えば対人関係を避ける理由として使えるからといえる。ひねくれているから友だちができない、でもそれは、単に他人との関係を深めて傷つくのが怖い、だから他人と関係を深めなくてすむように「ひねくれている」という自分になることを選んでいるというのだ。そして「あの出来事がなければ自分は完璧なんだ」という可能性の世界に生きて自尊心を保つことに繋がるという。

心にグサグサくる。反論できない。

過去が存在しないなんて納得はできていないし消化しきれてはいないのだけど、ただ言わんとするところはなんとなく分かる気がする。つまり、過去を持ちだしたら、自分が何かしらの目的のためにそれを持ち出してきたんだなと考えるわけだ。そうすることはこれまで無意識にやっていた自分の行動の真意に気づく1つのよいきっかけになると思う。

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