立ち尽くす

ごみの山を前にすると立ち尽くしちゃうよね。片付けないとならんのはわかるが、一体どこからどう手を付けたものかと。というかそれ以前にきたねえから近寄りたくねえっていうところが最初の関門だよね。それを超えてからだわな、どこから手を付けたものかってなるのは。

その片付けすら気分転換の1つになるってのがまた面白い。もはや面白がるくらいしか救いはないのだが。

生え放題の竹を間引いてすっきりさせるかとか思ったんだけども、多すぎるしどこから切ったものかと思案してた。思案するより何も考えずに目の前にある竹から切っていくしかないんだけどね。

そういえば竹の根っこもある程度なんとかせななと思って、途中から竹の根掘りに戻る。掘る途中でやめてるから穴ぼこ状態なんだよね。それで最近の雨で土がはねて、外においてる洗濯機が泥だらけになっていた。完全に竹の根を掘り起こすのはむりにしても、ある程度掘り出して土を均すべと、とりあえずそこだけはできたかな。

棚作り

それ以前に棚を作ろうとしてたんだよな。でもやっぱり材料が足らない。そこでまたゴミ放置場所から廃材・・・なのかはよくわからんが、木材を引っ張り出してきた。汚いけど、棚の柱としては使えそうな気がする。長さは十分あるし。

次はどれくらいのサイズの棚にするかとかを考える必要がある。外寸はまあ決められるにしても、奥行きはどれくらいとるのか、棚の数は何段にするのかとか。このあたりを考えるのが大変なんだよなぁ。

別に廃材を使って廃材を置く棚を作るだけなのだから、考えずにいきあたりばったりで作ればいいのかもしれん。というかこれもやっぱり考える前にさっさと作れって話なのだろうな。

どうも廃材を使うと言っても、もしかしたら他に使いみちがあるかもしれないとか考えて、使うのをケチったり、無駄にならないように効率よく使おうとしたりしてしまう。もともとゴミだったものを再利用していると考えれば、なにかに使えるだけでプラス。中途半端にもったいがらずに大胆に使える精神がほしい。

負担

これを書くこと自体が負担になりつつあるな。

書くことが負担になっているのか、考えるのが負担になっているのか、考えることがないことが負担になっているのか、これに書けることを選別しているのが負担になっているのか。

いろいろとダメかもしれん。

ダメな状態なのを、外界とのつながりを経つことで向き合わないようにしても、いずれだめな自分と向き合うときがくるわけでね。外界との接触を完全に断つことは無理だから。どこかで境界を認識して、そこで自分と向き合うことになるわけさ。たぶん今のこの無力感はそういうことなんだろうなぁ。

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