ゴミ屋敷の片付けをしている。

ゴミ屋敷は父の生家である。今は祖母が一人で暮らしている。

我々国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有しているらしい。しかしながら、このゴミ屋敷にはそれがないと私は感じている。だからゴミ屋敷と呼称している。

何年も放置されたものがそこかしこにある。あまりにも長い間放ったらかしにされているので触りたくない。だから余計に放置される。

今はリフォームに向けた片付けを行っている。そうして放置されていたものをどかすわけだが、そこかしこからゴキブリの卵がこれでもかというほど出てくる。

私は三十数年生きてきた中で、幸運ながら今までゴキブリの卵の実物を目にすることはなかった。人生で初めて目の辺りにしたゴキブリの卵、気持ち悪くて仕方がない。

しかしあまりに数多く出土するのでもはや気持ち悪いとかいう感情すらわかなくなった、HAHA。

台所には腐ったものが放置されている。母が定期的に掃除しているが、肝心の祖母が無頓着なので改善されない。

祖母は足が悪く、日常生活を送るのも困難なレベルなので、肉体的に片付けができない。冷蔵庫の使い方も無茶苦茶なので、庫内に腐ったものが放置されていたりする。開けると異臭がする。

仮に祖母の体がまだいくらか自由に動いたとしても、そもそも祖母は精神的に片付けができない。ものをかけて隠すことを片付けだと思っているフシがある。見かねて捨てようとすると、まだ使えるもったいない、といってとっておこうとする。

そもそもものを腐らせてしまうことのほうがもったいないことだと私は思う。まだ食べるものがあるのに買い物に行って大量に買い込んでくることのほうがもったいないと思う。言っても聞き入れる様子はないので言うのを止めた。そもそも耳も遠いのだ。

夫のコレクションを勝手に捨てて離婚することになった人の話を目にしたことがあるが、今の私がその人と同じような状態なのだろうか。祖母にとっては大切なものなのかもしれない。しかし私はそれを捨てる。

大切なものだというのであればちゃんと大切に保管しておいてほしい。埃にまみれ、ゴキブリの卵を産み付けられているような状態のものを、私は大切なものだとは認識できない。

曾祖母が亡くなったとき、祖父が亡くなったとき、一切片付けを行っていないので何十年レベルで放置されたものと今、格闘している。いつまでたっても終りが見えない。

大量のゴミを捨てる際に困るのが、どうやって捨てたらいいのかよくわからないものが出てくることだ。どう分別するのか、廃棄方法はどうしたらよいのか。そのあたりの判断も、これだけ大量にやっていたらスムーズにできるようになりだした。

このようなゴミの処理をしてくれている縁の下の力持ちの方々に本当に頭が上がらない。祖母への気持ちは坂を転がり落ちるごとくであるが、それと反比例して日夜ゴミと戦ってくれる勇者たちへの感謝の念が込み上がっていく。

少し前までは、祖母に対してここまでのことを思うことはなかったと思う。やはりきっかけはゴキブリの卵だろうなぁ。それで父の生家は私の中でゴミ屋敷になってしまった。あの空間にいると、私の気持ちが死んでいく。

幼少の頃にいろんな思い出があるが、そんな思い出の場所がゴミ屋敷になっていることへの失望のほうが大きく、もういっそ全部燃えてなくなってほしいとさえ思っている。ゴキブリの卵とゴミと一緒に。

この空間にいるくらいなら野宿したほうがマシだと、割と本気で思うレベルになっている。もうこの空間が生理的に受け付けられない。そしてこの空間で生活している人が受け付けられなくなっている。

今はもう使っていない離れの片付けなので、とにかく捨ててしまっているが、これから魔窟たる母屋の片付けも行っていかなければならない。

触るのも憚られるような得体の知れない物体を取り除いていかなければならない。そして祖母はきっとそのうち大半を捨てないでというのだろう。というか、量が多すぎていちいち祖母にお伺いを立てていたら作業が進まない。その点でも憂鬱である。

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